毎月22日は、このブログでは「勝手にドイツ国際平和村の日」としてドイツ国際平和村スタッフ監修の下、ドイツ国際平和村ボランティア体験(2003年7月-2004年6月、2005年8月)でのことを綴ります。
まずは簡単に私がドイツ国際平和村でボランティアをするまでの道のりを。
私が、ドイツ国際平和村(以下・平和村)を知ったのは、10年前。
第二外国語でフランス語を専攻していた私、縁あって東京に住むフランス人の家庭で週に数回ベビーシッターとしてアルバイトをしていたことがあり、
「フランス語を使えて子ども達と接することの出来るボランティアとか仕事ってないかな?」と思い、本屋さんで「国際ボランティアガイド」と言う本を買ったのでした。
その本には、フランスでの子ども関係のボランティアは見つからなかったので、ちょっと範囲を広げてヨーロッパ内で探すと平和村のボランティア情報が載っていた。
ボランティアの条件は、英語又はドイツ語が日常会話以上出来ること。3ヶ月から1年未満平和村で働けることでした。
この時点で、英語かぁ。。ドイツ語??無理、無理。
で、即私の中では却下でしたが、
その後妹に薦められて見た
TV番組「世界ウルルン滞在記」で私はドイツ国際平和村と出会った~。のでした。
番組終了後、平和村にメールをすると、”現在はボランティアの募集は行っていません。次回の募集は2002年です。”と返信が来た。
1年以上後の1年なんて私が何をしているか想像も予想もつきません。
それに私の他にもボランティアをしたい人がいて、空きがないのだからそれはうれしいことである。
それでも、平和村の様な施設が存在できる国ってすごいなぁどうしてもドイツに行ってみたい!と思い2001年9月からドイツでワーキングホリデービザを使用し1年間、ドイツ語&ドイツを学んだのだ。
そして、日本に帰国して数ヶ月後たまたま開いた平和村のホームページでボランティア(研修生)の募集をしており、すぐに応募、そして数週間後に採用のメールが届いた。
そんなこんなで2003年7月より平和村にてボランティア生活が始まった。
なんでも始めはそうですが、名前や場所を覚えるのが一番大事な仕事。
平和村に着いて初日に日本人事務スタッフのMさんから子ども達の施設案内、それから別の場所にある平和村の事務所やスタッフの紹介があった。
子ども達の施設では、Mさんと私が歩いていると人なつこい子ども達が声をかけてきます。
中には、私が小さいので
「新しい子ども?」とMさんに聞いてくる子もいた。
「違うよ。明日からここで働くMorangoって言うんだ。」と笑いながら応えた。
私が平和村を訪れたのは初めて、TVで見て想像していたのとは違うような、そして同じような、その時は明日からここで働いて行くのに自分がちゃんとやっていけるのかどうか不安とそれから期待がいっぱいで頭の中はボーッとしていたような気がします。
Mさんの運転で行った平和村事務所では、平和村の活動に協力してくれる病院と連絡を取る部署や寄付関係の部署、メディア担当の部署などがありスタッフ達も明るく迎えてくれた。
そしてボランティアの寮では、私と交代で帰国するチェコ人の女の子がまだ働いていたので6人で10畳くらいの部屋に2段ベット3つがフル活用。
その他に部屋の中には物置にされていたベット一つ、色々なところから寄せ集められて来た机やソファー、タンス、本棚があった。
キッチンはなく床で料理をし、食器などはトイレの洗面所で洗い。
洗濯は平和村の洗濯所で週に一回木曜日にまとめて持って行くと洗って乾燥機にかけてその日の午後に取りに行く。
トイレとシャワーは男性スタッフと共同で一つしかないので朝番の人はなるべく遅番の人が帰ってくるまでにシャワーや洗い物を終わらせておく決まりがあった。
(注意:現在は新しい寮があります。)
私のボランティア第1日目は、遅番(14時から)で始まった。
男性?と何度も疑ったが名前からしてドイツ人女性スタッフと一緒に大きな女の子達を担当することになった。
彼女に色々質問されて、応えて、
「あ~、ドイツ語わかるじゃない。」と言われた。私のドイツ語のテストでもしたのかな。
でも、ワーホリでドイツに居たときから10ヶ月経過していると中々単語が口に出てこない。言葉がもうすぐ出てきそうなのにもう一歩が思い出せないモヤモヤ感が何度も襲ってくる。継続は力成りとは言うけれども、言語って使っていないと忘れちゃう物なんだな、とこの時初めて思った。
そして、このスタッフから一枚の紙を渡され
「これは、子ども達の部屋割り表。ここからここまでが私たちの子ども達で、今から名前を言う子ども達は肝炎をもっている子ども達だから名前に印をつけて。その子達からシャワーをして」と言われた。
彼女が名前を読み上げる。
聞き慣れない名前が多い。
確認の為に復唱してみるがrとかlが多く入っている名前が中々上手に読めない。
ましてや顔と名前は全く一致しない。
まずは、人なつこい子ども達&特長のある子ども達から名前を覚えることにした。
唯一のベトナム人の女の子、顔もバッチリ覚えた。
次はアンゴラの子の名前を覚えよう。キリスト系の名前だから覚えやすいと思い、一人をつかまえて名前を聞くと
「アントニア」と言う、困った。紙にはもう2人アントニアがいる。
「アントニアは、何アントニアって言うの?」なんて聞いていたら次から次へとアンゴラの子ども達が私の周りに集まってきた。
そして次々に私に質問する
「なんて名前?何歳?結婚しているの?あなたも日本人?お母さんとお父さんは一緒に来たの?子どもはいるの?」と、私が応えるまもなく。(笑)
そして私は彼女たちの質問よりも、彼女たちの素敵な髪型に目が点。
あれは芸術だ。アンゴラの女の子のチリチリの髪の毛は大きな女の子達によってきれいに編み込んでもらい最後にビーズをつけてもらってかわいい。編み込みと言ってもただ一直線に上から下へ編み込むのではなく渦巻き状だったり、ジグザグだったり。それを見て私は
「決めた!この髪型の特長で名前を覚えよう。」メモ帳に書き出す、何歳くらいでどこを怪我しているとか、髪型とつけているビーズの色。声の特徴なども
アフガニスタンやその他の国の子ども達も、同じように覚えた。
その間に子ども達のシャワーの手伝いをする。
全員終わったかな?と思った頃、スタッフが私の所に来て
「シャワーはだいたい終わったみたいだね、あとは私がやるから、今度は上にいる子ども達を手伝って、上には日本人スタッフがいるから。」「はい。」そして、上に行くと赤ちゃんとか小さい子ども達がコロコロしていた。
また、名前を覚えることから始まる。
平和村では名前を覚えることと、その子どもの病状や毎日チェックをしなければいけない項目があるかどうかを知ることがとっても大事だ。たくさんの子ども達、そして聞き慣れない名前。
そして同じ名前を持つ子ども達、アントニオ・ジョアオ・モハメッド・アドリアーナ・サンドラ・アリ・・・・・・中にはスタッフも同じ名前だったりする。(笑)
私だけじゃなくて、他のスタッフもみんなボランティア(研修)開始から3日くらいはメモ用紙片手に顔と名前を照らし合わせたり、先輩スタッフから子ども達の病状や注意すべき点を必死に書き留める。
アブラ・カタブラ。アフガニスタンの男の子の名前を覚えるのが面倒くさくなった、
「もういいやみんな、アブラ・カタブラで」だって、男の子達ふざけて違う名前ばかり言うんだもん!
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- 2009/03/22(日) 02:22:22|
- ドイツ国際平和村
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